2016 3 12 第12回 Cassies 大人なライブ★

 昨日は 第12回大人なライブをCassie'sさんで開催させていただきました。

 今回は急なご病気やお怪我等々でキャンセルせざるを得ないバンドさんが2組。にも拘わらずお元気な残りのメンバーさんに来ていただけまして大変ありがたかったです。

 本来のバンドさんでは無かったのですがジャムセッションバンドにて演奏いただきました。

 マスターがFacebookでGarthを退店されたという情報が流れたと思います。

 皆さまにはご心配をおかけいたしましたが、3/12の大人なライブについては予定通り以前のお店で行います。

 大阪市中央区心斎橋筋2-3-6 一龍ビル B1 です。

 但し お店がCassie's という名前に変わります。ですので今回は第12回大人なライブ in Cassie'sということになりました。

 内装も変えられるそうですが詳しくはまだわかりません。

 尚、タイムスケジュールは下記のように変更としたく思います。お仕事のご都合、キーボードの関係です。

 今回より、撮らせていただいておりますビデオ映像についての編集は個々にお願いするようにいたしました。下記のHPにYou Tubeはアップしておりますのでダウンロードをいただきましたら助かります。

 尚、編集が苦手の方は従前通りこちらで作業いたします。お気軽にご連絡くださいませ。

第12回 大人なライブ 3/12(土)

15:55 司会 Yantoo

16:00 ごん&みゅう♡

16:30 Rurii

17:00 くろべ

17:30 艶KEN

18:00 jamsession

18:20 休憩

18:50 Schue & カルロス大川

19:20 りーかん

 

19:50 Nama-Zoo(ナマズー)



ごん,Ante &みゅう


Rurii


くろべ


艶Ken


Kate Jamsessionband

Kateさんの相方さんがお仕事中に転んで膝のお皿を骨折するというアクシデントがありまして、現在入院中です。

にも拘らずKateさんはライブにいらっしゃてくれました。

ジャムセッションで2曲歌ってくださいました。感謝です!


Yantoo


Schue & カルロス大川


りーかん

りーかんさんはこのライブで一旦活動を休止されるとのことです。

早い復活を期待しております。(≧з≦)ノ


Nama-Zoo(ナマズー)

籔下裕之氏 ご逝去のお知らせ
ブルースシンガーでハーピストでもあるキャットフィッシュ籔下こと、籔下裕之氏が、病気療養中のところ、1月3日、大阪市北区の自宅で55歳にて逝去されました。謹んでお知らせいたします。ご家族に看取られながら、静かに息を引き取られたということです。
なお、葬儀は故人のご希望により、ご遺族により執り行われましたので、併せてお知らせいたします。
1月7日の午後に故人のパートナーから私に電話がありました。昨年6月に食道がんが見つかり、以降、療養していたということは、私もまったく知らされていなかったことでした。故人の強い希望により一切伏せられていたということで、『骨になってから伝えて欲しい』と言い残していたようです。ヤブちゃんらしいセリフです。
ヤブちゃんと僕は同年で、今から30年前、26歳の時にエジプトのカイロで出会いました。お互いに会社を辞めて世界一周ひとり旅をしていた途中で、偶然にカイロの安ホテルのロビーで出会い、その後はそれぞれまた別のルートで世界の放浪の旅を続け、帰国後に東京で再会、そこから付き合いが始まりました。ちなみに、同年だと知ったのはずいぶん後になってからのことです。多くの奇跡的な偶然が重なった出逢いでした。
ヤブちゃんは日本を出て東南アジアを経由してインドへ入り、その後アフリカのケニアへ。インドからケニアへの飛行機で、着陸寸前にお腹を壊し(インドで当たったみたい)、トイレで苦しみながらケニアに着陸したという爆笑のフライトだったようです。
ケニアに着くなり盗難にあい、散々だったそうですが、その後、ナイロビで知り合ったドイツ人カップルと一緒に飛行機でエジプトのカイロに到着。そのままホテルを探して、僕が宿泊してた安宿にたどり着いたというわけです。
僕は日本を出てオランダを経由しギリシャに。アテネからのフライトでカイロ入りして、すでに数日経ってました。ホテルは地球の歩き方を見て探した激安ホテル。一泊800円でした。おかげでシャワーからは水しか出ず、冷房の効きもイマイチ。
ある日の朝食後にフロントを通って部屋に戻る途中、なんだか日本語訛りの英語が聞こえたので振り返ったら、ラスタカラーのベレー帽を被った長髪で髭面の怪しいアジア人と目が合いました。
一瞬の沈黙。そして僕に向かって満面の笑みで『助かったぁ〜!』という叫び声、それがヤブちゃんとの出会いでした。
チェックインでフロントのお兄ちゃんと揉めてたらしいですが、日本人の僕が宿泊してたことで、話がうまく通ったらしく、無事にヤブちゃんたちはチェックイン出来たようでした。
ひとり旅で僕はあれこれ記録を付けていて、ヤブちゃんと出会った日は、1992年3月31日(火)だったようです。
翌々日、僕の部屋を訪ねてきたヤブちゃんは、ドイツ人カップルがチェックアウトしたから、相部屋しないかと声をかけてきました。どうやら、ドイツ人カップルと3人部屋でシェアしてたようで、ちょうどイスラエルからカイロ入りしてた日本人の同年代の男(彼も放浪ひとり旅)も一緒にその3人部屋でシェア出来るよう手配したらしいんです。
ということで、奇妙な3人で相部屋となりました。結局は4日一緒にいたことになりますが、強烈な記憶に残る4日でした。
エジプトはちょうどラマダンで、あまりお店は開いてなかったんですが、観光客はアルコールを買えたので、3人で夜のカイロを練り歩き、酒屋でウーゾのようなスピリッツを買って部屋に戻り、3人で酒盛り。その夜にヤブちゃんは金子光晴さんの詩集に強い影響を受けて旅に出たとか、アルコールとタバコを同時にやるのはカラダに最悪と言いつつウーゾを飲んでキャメルを吸ったり、その後のヤブちゃんとの付き合いを予見させる飲み会でした。
4月5日、僕は先にカイロを出るのでチェックアウトしました。その後、ヤブちゃんはどういうルートを辿ったか僕は知りませんが、ヨーロッパ、北米、南米を巡って日本へ帰ってきたようです。
旅から帰ってきたヤブちゃんは、成田からそのまま当時僕が住んでいた代々木上原のアパートに泊まりに来ました。どういう話の流れか、マディのハードアゲインと、サニーボーイのダウンアンダウトをヤブちゃんに聞かせたのが、僕たちのブルースの始まりです。
それまでブルースをまったく知らなかったヤブちゃんは、サウンドを聴くなり興奮し、僕を質問攻めにしました。2枚のアルバムをカセットテープに録音して渡したのは言うまでもありません。
その後、大阪に帰ったヤブちゃんから来た手紙には、ブルースハープを習っている、という言葉と、購入した膨大なブルースアルバムの話が書かれていました。ほどなく大阪で『なまず』というブルースデュオを組んだと手紙が届き、録音テープが入っていました。
2年後の1996年、阪神淡路大震災の翌年です。神戸に戻った僕は、『なまず』のデュオ活動を停止していたヤブちゃんと頻繁に会い、セッションを繰り返していました。セッション仲間だったスリランカ人のドラマーが、『なまず』という日本語は発音しにくいけど、『Nama-Zoo』と書けば、似た発音になる、とのアドバイスで、Nama-Zooという名前でブルーストリオをスタートさせることになりました。ヤブちゃんのハープと歌、スリランカ人のドラム、そして僕のギターです。スリランカ人のドラマーは日本で英語教室の講師をしていて、マーティン先生と僕たちは呼んでいました。堺のレッドハウスというライブハウスで3曲演奏したのが、このトリオ唯一のライブです。本業が忙しかったマーティン先生は練習に来れない日が多く、やがて教室が倒産して行方知れずに。そのため、ヤブちゃんと僕のデュオでNama-Zooを続けることになったのです。
デュオNama-Zooの最初のライブは、大阪のミナミをストリートで演奏しながらブラブラすることでした。映画『クロスロード』のまねをして、ヤブちゃんがハープを吹きつつ、僕が腰にぶら下げた小型アンプでギターを鳴らして。公園で生活しているおっちゃんたちにウルサイと怒られながらたどり着いたのは、ヤブちゃんのお気に入りのバー『ラブパック』でした。入るなり、演奏させてもらえませんか、と不躾なお願いに快く応じてくれたマスターがブルース好きだったことが幸運でした。後日、そのマスターは『ラブパック』を辞めて、心斎橋に『バタースコッチ』というバーを開きます。そのマスター、弓さんは、僕たちの兄貴のような存在として今もお付き合いがあります。
そして心斎橋にあった『フーチークーチー』というバーにも押しかけて演奏。すると、そのマスターはNama-Zooに毎月演奏して欲しいと声を掛けてくれたのです。その後は、数々のライブハウス、バーで演奏させて頂き、1999年にヤブちゃんがブルースバー『キャットフィッシュ』を開業するまで続きました。
いつだったかハッキリとは覚えてませんが、しばらくNama-Zooはお休みやなあ、と言われました。勤めていた会社を辞めてアメリカを旅すると言うのです。聞けば、米国南部、ブルースのゆかりの地を訪ねる旅をしたいとの事でした。僕がヤブちゃんと出会ったあのひとり旅で、僕はすでに米国南部のブルース巡礼をやってたので、それは素晴らしい、行ってこいよ、と送り出しました。
ブルースに深く影響を受ければ、いつかはミシシッピデルタに行ってみたくなりますよね。たぶん(笑)
実際に行くかどうかはその人の状況や環境によると思いますが、この頃のヤブちゃんは、まだ自分ひとりで長期の旅をする自由を持ってました。
メンフィス、クラークスデール、ヘレナ、シカゴを回ってきたようで、シカゴではバディ・ガイの店でハープを吹いたり、バディと写真を撮ったり、クラークスデールではリバーサイドホテルに宿泊、ヘレナではサニーボーイの墓参りをして、ラジオ番組のキングビスケットタイム収録を見学し、なんとゲストでハープを吹くという歴史的出演を果たしました。DJのサニー・ペインに言わせると、番組でハープを吹いた日本人はヤブちゃんが初めてだったそうです。
その後、山崎まさよしさんが出演してハープを吹くのですが、ヤブちゃんはそれに先駆けた出演でした。
帰国したヤブちゃんは、1999年9月9日、大阪の老松通りにブルースバー・キャットフィッシュを開きます。店内には、米国ブルースの旅でいっぱい収集してきた小物や写真を並べた、夢のブルースバーでした。
店の看板、名刺、コースター、マッチは、全てヤブちゃんの手書きデザイン。掲載したナマズのイラストもヤブちゃん作画。店そのものがヤブちゃんの作品でした。
キャットフィッシュ開店は、そのままNama-Zoo活動休止継続を意味しましたが、キャットフィッシュでヤブちゃんと飲む酒は格別でした。
2000年1月1日の午前0時の時報と共に、マディのハードアゲイン一曲目、マニッシュボーイをかけて盛大に乾杯したことを思い出します。盛大に、と言っても客は僕ひとりでしたが(笑)
2003年に『キャットフィッシュ』を閉めてから再開したNama-Zooは、ひろ江ちゃんというステキなドラマーを迎え、再びトリオに。数々のライブをさせて頂き、ひろ江ちゃんお休み後は、またデュオに戻って活動。僕がお休みに入ってからは、Nama-Zooはしばらく休眠します。その後のヤブちゃんは、『キャットフィッシュ・サンドウィッチ』を結成し関西の凄腕ブルースマン達を集めたスペシャルなバンドとして、多くの活動を続けました。
キャットフィッシュ・サンドウィッチ休眠後は、またNama-Zoo再開。そして、ドラムの高野さん、ベースのティンちゃんに参加して頂いた4人編成のバンド、ナマズDXを開始。ベースが平井さんに変わってからも継続し、このバンドでも多くのライブに参加させて頂きました。
大切な人を亡くした経験のある人がみな感じるように、ヤブちゃんがいなくなったことが、まだ理解出来ていません。あまりにも突然に、ふいに旅立ってしまった。突然すぎて、言葉が出ません。こうやってヤブちゃんとの歴史を書き連ねても、ほんとうのヤブちゃんを表現出来ているとは思えず、もどかしい気持ちです。
涙が止めどなく流れるのに、これがどういう涙なのか、僕は自分でまったく理解出来ずにいます。
ヤブちゃんと一緒に音楽を聴き、一緒に音楽を奏でてくださった皆様には、ご遺族から感謝の言葉を伝えて欲しいと頼まれています。ただ、ヤブちゃんは自分の演奏を家族や友人、仕事関係者に聴かせることに、あまり積極的ではありませんでした。なので、ご遺族は皆様のことはほとんどご存じではありません。その点については、どうかお許しください。
このコロナ禍、ライブハウスのことをヤブちゃんはとても気に掛けていました。自分がブルースバーを経営していたことがあるので、ブルースに関わるビジネスがどれほど大変か、ヤブちゃんなりに知っています。まったく顔を出さずにいなくなってしまったヤブちゃんですが、ずっと気にしていて、行こうとしていたことを、是非知っておいて頂きたく思います。
Nama-Zooとしてお世話になったお店を、ライブ演奏有り無し含め、開店や閉店も含め、憶えている限り、以下に記します。ありがとうございました。
ラブパック バタースコッチ フーチークーチー フォギー サードストーン シカゴロック ハウリンバー
ナッシュビルウェスト 高槻バード G-DOG PAGE ONE パワーサウンドスクエア スタジオぐび スタジオNECO
スタジオラット サウスサイド スカポンタン レッドハウス ピッグ&ホイッスル ドゥードゥリン
ジェームズ・ブルースランド バーインク ピッコロ レイラ ランブラーズ たべよし ディギン・ザ・バー
からすのハーモニカ 田中屋酒店 カフェティーフィー ボロンテール 銀座ルパン 金盃 すず 権太 松屋
スパイス飯店 スティル なかい山 ディープサウス ミニィ 知夫里島 よかちょろ キャシー トメト
トラットリア・エビス BAR F&M ハウスオブジャズ 高槻ジャズストリート 堺ブルースフェスティバル
※順不同、敬称略
以上、もしも抜けていたら申し訳ありません。
そして、Nama-Zooとしてお世話になった皆様へ、ほんとうにありがとうございました。
一人ひとりへの御礼は、この文章をもってかえさせて頂きたく、お許しください。
ヤブちゃんは、こういうしみったれたメッセージや、くどくど説明するような文章は好きではありませんでした。また、改まった挨拶や、儀式的なやりとりも苦手でした。
これは、ご遺族の思いと、Nama-Zooのメンバーである僕の気持ちからの、皆様への感謝の思いです。
また、Nama-Zooではない場所でヤブちゃんと親しくされていた皆様には、それぞれの思い出があると思います。機会があれば、是非教えてください。ご家族へ転送いたします。
最後に。
初めてブルースを聴いてから、もう40年近く経ちます。歴史的にも、現在も、多くの素晴らしいハーピストがいます。しかし僕にとっては、ヤブちゃんのブルースハープが世界ナンバーワンのハープです。あいつのバックでギターを弾いている瞬間は、心から幸せでした。だから、僕が常に心がけたことは、ともかくあいつが安心してハープを吹けるようなギターを弾くことでした。
Nama-Zooのブルースを聴いてくださいまして、演奏する機会を与えてくださいまして、ほんとうにありがとうございました。
平田憲彦
 今日初めてこの投稿を見ました。気付かずに申し訳ないです。
 Nama-Zooさんはちょうど5年前に私どもの主催する大人なライブにもご出演いただいてますね。平田さんと最初にお会いした時のことでもあります。
 素晴らしい演奏でしたので平田さんにまたNama-Zooでも演奏してくださいねとお願いしてましたが・・・とても残念です。当時のYouTube演奏を再度見てましたらNama-Zooさんをご紹介いただいたYantooさんもはいってセッションもされてました。Yantooさんにも感謝です。 ごんすけ 2021/2/24